The Chosenシーズン2-2「I Saw You(私はあなたを見ていました)」②









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このドラマ解説にあたり以下の点にご留意ください。
・登場人物、地名の日本語表記及び聖書引用は主として日本聖書教会「新共同訳」に準拠します。
・脚色の多いドラマです。混乱を避けるために聖書に実際に登場するシーン、人物名は白色で記載します。
 そうでない部分は聖書に明記されていないことをご了承ください。

シーズン2エピソード2「I Saw You(私はあなたを見ていました)」はこちらからご覧になれます。←Click!!


の続きです。


傷心のナタナエル(Nathanael)は一人荒野を歩いています。
イチジクの木の下に腰を下ろし、大切に抱えて来た紙束を取り出しました。彼が建て上げたいと切望していた、礼拝堂の設計図です。「あなたのために書いたものです。」彼はすすり泣きながらそれに火を着け、燃やしてしまいました。

主よ、呼び求めるわたしの声を聞き
憐れんで、わたしに答えてください。(詩編27:7)

祈りの言葉をつぶやきつづけますが、火の燃える音以外は何も聞こえてきません。
神よ、なぜ答えてくれないのですか?あなたのために頑張ったのに、私が見えていますか?!

御顔を隠すことなく、怒ることなく
あなたの僕を退けないでください。
あなたはわたしの助け。
救いの神よ、わたしを離れないでください
見捨てないでください。(詩編27:9)

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マタイ(Mathew)フィリポ(Philip)に教わりながら薪の手入れをしています。手を動かす労働は初めてです。フィリポはこれからは皆と一緒に生きていくために、肉体労働をし、わからないことはちゃんと訊いて教えてもらい、ジョークを言って笑い合う生活を受け入れるように勧めます。

全てを捨ててイエス(Jesus)に従うことは辛かったかと尋ねられると、マタイは「いいえ」と即答します。裕福ではあったけれど、ペットの犬以外は何も楽しみがなく意味のない人生だったから。でも嫌われ者でいるのは愉快ではないし、なぜイエスが宗教のことなどほとんどわかっていない自分を仲間に入れたのかもわからない…。

イエスは「宗教的」なことには何か快く思っていない部分があるようだ、とフィリポは言います。ともかく今大事なのは、イエスが自分を選んでくださったということ、そこにしっかりと立っていればいい、8歳で飛び級出来たなら、色々なことはすぐわかるようになるさ。
ついでにジョークを一つ教えますが、こればかりはまだわからないようです…。

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日が落ちた荒野、イチジクの下でナタナエルは泣きながら燃え尽きた設計図の灰を頭にかけます。
ユダヤ人が灰を頭にかぶるのは悲しみの中にいることを示します。人が亡くなった時などにもなされる行為ですが、自分が灰のような無に等しい存在であることを示す意味もあり、転じて悔い改めを表す行為ともなります。

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夜、フィリポが一人で火の番をしている所へイエスが戻ってきました。
イエスは自分が洗礼者ヨハネ(John the Baptist)から洗礼を受けた時、そこにフィリポがいたことをちゃんと覚えています。わが従兄は元気ですか?兄と言っても同い年だけど。
イエスの母マリア(Mary)とヨハネの母エリサベト(Elizabeth)は親戚です。従兄と言っていますが、実際はもう少し遠い親戚関係と思われます。エリサベトが身ごもりその6ヶ月目にマリアの所へ天使が現れ彼女がイエスを身ごもり出産することを告げました。単純に計算して二人の年齢は6ヶ月差です。余談ですがカトリックの教会歴では洗礼者ヨハネの記念日は6月24日とのこと。まさにクリスマスの6か月前です。

この頃ヨハネは捕らえられて牢の中でした。ヨハネフィリポに託した伝言、それはフィリポ自身でした。「私に従って来なさい」というイエスの言葉に「はい」と即答するフィリポ
焚き火を挟んで語り合う中でフィリポは自分の今や自分の師となったイエスと前の師であるヨハネがとても似通っていると言います。ユダヤ人を忌み嫌うサマリア(Samaria)に続いて今度はシリア(Syria)へ向かうとは…危険な地ばかり、何も知らなかったら二人とも死を望んでいると思うところです。

「正しくは『望んでいる』のではありませんね」と意味ありげなイエスの答え。どういうことかとフィリポは問いますが明確な答えは得られませんでした。

先に休むように勧められ、フィリポは立ち上がります。「もう一つだけ…」時間があれば自分の友人に会っていただけないでしょうか。もう長いこと会っていない建築家の友人がローマ人の町カイサリア(Caesareaにいるのです。「ああ、もちろん!」友達には時間を割くのは当然、とイエスは答えます。

一人火の番をしながらイエスは何か物思いにふけっているようでした。

に続きます。