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このドラマ解説にあたり以下の点にご留意ください。
・登場人物、地名の日本語表記及び聖書引用は主として日本聖書教会「新共同訳」に準拠します。
・脚色の多いドラマです。混乱を避けるために聖書に実際に登場するシーン、人物名は白色で記載します。
そうでない部分は聖書に明記されていないことをご了承ください。
シーズン2エピソード1「Thunder(雷)」はこちらからご覧になれます。←Click!!
①からの続きです。
さて、ヨハネ(John)とヤコブ(Big James)が頑張って開墾した畑をイエス(Jesus)は絶賛します。
ますます鼻高々な二人…ところがちょっと思惑が外れます。
二人が耕していたのは、足を痛めて働けないサマリア人、メレック(Melech)の土地だったのです。
えぇ?…旅人の食糧補給のための畑を作ってたんじゃなかったんですか…よりによってサマリア人の畑を作らされていたなんて…彼らの困惑、そして不満の空気を見逃すことなくメレックは突っ込みます。「何が目的だ。金なんかないぞ。」
イエスの申し出は「私たちと一緒に食事をして欲しい」でした。食料はさっきたっぷり買い込んでいます。
ユダヤ文化の中で、食卓を共に囲むことは非常に親しく、深い関係を結ぶことを意味します。
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食事とおしゃべりを楽しむ中、メレックの妻チェドバ(Chedva)がイエスに問います。
幼いころから聞かされてきた「メシア(Messiah;救い主)が痛みと苦しみを終わらせる」という言い伝え、あなたがもしそうならば、いつそれをしてくださるのですか?
ユダヤ人もサマリア人も、メシアは今の現状を打破するために来るのだと言い伝えてきました。常に強国の圧政を受けて来た彼らには、それを打ち破り、自分たちを解放してくれるメシアがいつかやって来る、と待ち続けていたのです。このイエスという人物こそがそうなのだろうか。いよいよ救いと会報は来るのだろうか?
イエスは「自分は天の王国(The Kingdom of Heaven)の福音を伝えるためにここにいる」と語ります。悲しみも嘆きもない天の王国。この世のものではないその王国へ行く道を私は作る…。私たちの人生は現実で終わるのではなく、その先の天の王国まで続く、そこへ行くのが本当の救いであり、解放であると語ります。そこへ至る道を作るために自分は来たのであると。
今私たちは骨の折れる、心の痛む現実を生きなければならない、でも最後には必ず光が暗闇に打ち勝つのです。
「骨が折れると言えば…」イエスはメレックの足が折れている理由をすでに知っているようです。子どもには聞かせられない話でした。娘を寝室へ行かせ、メレックは告白します。
貧困に耐えかねて、友人と一緒に一人旅のユダヤ人を襲ってしまった。友人は金品を奪い、自分は馬を奪った。馬を売りに行く途中で振り落とされ、足を折ってしまった。
毎日あのユダヤ人のことを考える、自分は彼を殺してしまったのかもしれないと。あなたがたは人殺しかもしれない自分を助けたのだ…。
「その人は大丈夫。死んでいませんよ。通りがかりの人に助けられました。」イエスはそう約束しました。メレックにとって救いの言葉です。「なぜ私など助けるのですか…?」ユダヤ人に敵対するサマリア人、強盗までする自分を助けるとは、どういうお方なのだろう?
イエスは前日にも皆に話したたとえ話を彼に聞かせます。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。(ルカによる福音書15:4)
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夜も更け、一行はフォティナ(Photina)が紹介してくれた宿へ帰ります。
翌朝、奇跡が起こりました。メレックの足が癒されていたのです。
喜び抱き合う一家と、離れた宿の寝室でにっこり微笑むイエス。
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朝食の席、イエスが席を外した後に弟子たちの間にまたもや一悶着。
今後の予定を計画し、提案したヨハネとヤコブ、誰もついて来ません。自分たちがリーダーシップを取るように先生に期待されているんだ、という態度にみんなうんざりモードです。
「自分たちの中で、誰が一番トップなのか」は弟子たちの間に横たわる大問題、しかしあくまでも「自分たちにとって」の大問題です。
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皆がついて来ないことに腹を立てたヨハネは外へ飛び出し、ヤコブと共にイエスの所へ行きます。俺たちがリーダーなんだと、ちゃんと先生に決めてもらわないと。
イエスをつかまえ、話をしようとしたところでサマリア人の一行に声をかけられます。
にこやかに挨拶するイエスに対し、石を投げつけ唾を吐きかける一行。本当にユダヤ人が大嫌いなのです。
何をする!と激怒するヨハネとヤコブ。天からの火で燃やし滅ぼされてしまえ!俺たちがやってもいいでしょう!!やっぱりあんな奴らは先生の話を聞くにふさわしくない!!!
なぜあなたたちにメレックの畑作りさせたのかわからないのか。とイエスは諭します。
あなたたちが嫌うサマリアの人々が、どんどん私のことを信じているのを見なさい。
彼らが劣り、あなたたちが優れている、そんなことはない。人は皆、私が語る「天の王国」の福音を聞き、信じることが出来るのだ。そしてそれは幾世代にも語り継がれてゆく…最初は優しく、しかしだんだんと厳しくイエスは諭してゆきます。
ようやく理解が追いついた二人、素直に謝ります。
二人の激しさにイエスは「雷の子」というあだ名を二人につけたのでした。
③に続きます。
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蛇足ですがメレックの打ち明け話はイエスの「よいサマリア人」のたとえ話にそっくりです。このたとえ話では強盗に襲われた瀕死のユダヤ人を助けるのがサマリア人という設定。
ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。
(ルカによる福音書10:30~36)