The Chosen シーズン2-1「Thunder(雷)」③










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このドラマ解説にあたり以下の点にご留意ください。
・登場人物、地名の日本語表記及び聖書引用は主として日本聖書教会「新共同訳」に準拠します。
・脚色の多いドラマです。混乱を避けるために聖書に実際に登場するシーン、人物名は白色で記載します。
 そうでない部分は聖書に明記されていないことをご了承ください。

シーズン2エピソード1「Thunder(雷)」はこちらからご覧になれます。←Click!!

からの続きです。

イエス(Jesus)に諭されて落ち着きを取り戻したヨハネ(John)ヤコブ(Big James)
3人の所へ他の弟子たちもやってきます。ゲルション(Gershon)というこの町の祭司(priest:礼拝を執行する宗教指導者)を連れて来たのです。

敵対していても信じる神様は同じユダヤ人とサマリア人。ゲルションはイエスにぜひ会堂へ来てモーセの書を読んで欲しいと頼みます。さっきまでサマリア人に暴言を吐いていたヨハネと顔を見合わせ、微笑みながらイエスは快諾します。

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期待に満ちた人々で会堂はいっぱいです。
ゲルションはイエスを書棚へ案内します。きちんと並べられているのはモーセ五書。預言者モーセが記したと言われる聖書の最初の5巻です。

イエスヨハネを呼ぶようにとゲルションに頼みます。
「モーセ五書しかない」とつぶやくイエス。本来ならば読むべき署はもっとたくさんあるのですが、ここには5巻しか置いてありません。歴史的記録によれば、サマリア人はモーセを最も偉大な指導者として重んじる一方で、ユダヤ人の歴史などが書かれた書は心情的にも受け入れられず排除していたようです。

少しずつでも歩み寄らねば…とりあえず今はこの中からどれを読んだら良いかとイエスヨハネにたずねます。
昨日今日の事で、自分には選ぶ資格はないと答えるヨハネ。自分も含め、人間なんて無価値なもの。
でもあなたは違う。そう言うヨハネイエスは答えます。「私は人間ですよ、そして…」

私は有って有るものなのです。

その言葉に衝撃を受けるヨハネ。有って有るもの、とは「最初から存在しているもの」を意味します。全てのはじまりから存在しているもの。おそらく彼はこの聖書の言葉を思い出したのでしょう。

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」(出エジプト記3:14 ※口語訳聖書)
つまり、この方は…。後に彼が記す「ヨハネによる福音書」では、この「私は有って有るもの」がイエスの言葉として何度も出てきます。(※翻訳でははっきり出てきません)

皆が待ちわびています。そろそろ読む書を選んで行かなくては。ヨハネが選んだのは一番最初の書「初めに(創世記)」。神が言葉を「語る」ことで世界が生じたのが好きだから。「言葉」はギリシャ文化では神の原理を表すのにも使われる。

イエスは皆の前で書を広げて読み始めます。

初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。(創世記1:1~5)

それを思い出しながらヨハネは綴ります。

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネによる福音書1:1~5 ※口語訳)

ヨハネが書き残したかったこと、それは「イエスは神である」ということでした。
天地が造られる以前、「はじめから」有って有る方
新約聖書は当時の公用語であるギリシャ語で記されています。ギリシャ語で「言葉(logos;ロゴス)」と書かれる時、それは単なる言葉ではなく、物事の原理、真理を意味するものとなりました。イエス・キリストとはそのよう方、神であることを当時の人々により伝えやすいのがこの「logos」だったのです。