The Chosen シーズン1 パイロットエピソード「The Shepherd(羊飼い)」②









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このドラマ解説にあたり以下の点にご留意ください。
・登場人物、地名の日本語表記及び聖書引用は主として日本聖書教会「新共同訳」に準拠します。
・脚色の多いドラマです。混乱を避けるために聖書に実際に登場するシーン、人物名は白色で記載します。
 そうでない部分は聖書に明記されていないことをご了承ください。

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からの続きです。

夜になり、町はずれの野原で羊飼いたちは野営を始めています。ようやく遅れて辿り着いたシモン(Simon)は今朝のこともあって仲間はずれ、一人離れたところで羊の群れを見張る役を押し付けられます。

突然風が吹き、焚き火、たいまつ、ランプ、そこにあった全ての灯りが消えて真っ暗に。慌てる彼らを、今度は強く照らす光が輝きます。空を見上げ、まぶしさに慄きながらも跪きひれ伏す羊飼いたち。シモンも離れたところで驚愕の表情でそれを眺めています。
突然光は消え、再び真っ暗に。しかしシモンの顔には笑みが浮かんでいます。彼は走り出し、仲間の羊飼いたちも歓声を上げて駆け出します。

何が起こり、彼らはどこへ向かったのでしょう。

聖書にはこう記されています。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
  地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。(ルカによる福音書2:8~15)
このドラマでは天使たちがどのような姿であったかは映し出されず、視る者の想像にまかされます。人間の理解をはるかに超えた存在を感じさせる、なかなかの演出です。

救い主がとうとう生まれた!嬉しい知らせに羊飼いたちはベツレヘム(Bethlehem)の町へ向かいます。足の悪いシモンも必死に走ります…いつの間にか彼は杖を捨て、全速力で走っていました。会堂で読み上げられていた「そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる」という聖書の約束の言葉は、彼の上に実現したのです。

ベツレヘムの家畜小屋では、若い女性が必死に出産に臨んでいました。
 それゆえ、わたしの主が御自ら
 あなたたちにしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7:14)
「インマヌエル(Immanuel)」とは「神が我らと共におられる」という意味です。神の子イエス(Jesus)が、処女マリア(Mary)を母として生まれたことにより、古からの約束の言葉がここに実現したのです。

そしてその知らせが、当時最も低い身分の羊飼いたちに最初に知らされたということは、救い主は身分の上下に関わらず、すべての人のために生まれて来たのだと言うことを意味しています。

家畜小屋になだれ込んできた羊飼いたちに、イエスの両親、ヨセフ(Joseph)マリアは驚きます。しかし彼らの話を聞き、彼らを招き入れました。「今朝出会った…」シモンとマリアはお互いに気がついたようです。
生まれたばかりの救い主、イエス・キリスト(Jesus Christ「キリスト」とは「メシア」のギリシャ語訳です)の前に羊飼いたちは額づきます。「皆にこのことを知らせなくては!」羊飼いたちは飛び出していきました。

イエスを抱かせてもらったシモン、どんなにこの時を待っていたかと感慨深く話します。彼の腕の怪我に気付いたマリアは、ヨセフに頼み、イエスを包んでいた布の端を裂いて包帯にしてもらいます。
 主が民の傷を包み
 重い打ち傷をいやされる日(イザヤ書30:26)

どんな名前を付けますか?と聞くと「イエス」と二人は答えます。そう名付けるようにと天使から告げられた名前で「神は救い」という意味の言葉です。皆にこのことを知らせなくてはならない、とシモンも仲間を追って外へ出て行きました。
 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
 権威が彼の肩にある。
 その名は、
 「驚くべき指導者、力ある神
  永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ書9:5)

羊飼いたちによって、町中の人たちが救い主の誕生を知り喜びます。ずっと聞き続けて来た、約束の言葉が本当に成就したのです。「お前が正しかった、ずっと正しかったんだ」羊飼いの仲間の一人がシモンを抱きしめて言いました。

そこへ水を差すように、今朝の宗教指導者が現れます。「お前はもう来るなと言ったはずだ…無傷の小羊を見つけたというのか?」

答えはシモンの顔に書いてありました。

小羊は人々が過ちを犯した際に、礼拝で捧げられるものです。自分の身代わりに羊に罰を受けてもらうのです。イエス・キリストはこの人間が犯す過ちの根源、「罪」を取り除くためにこの世に生まれて来られました。全ての人の「罪」を身代わりに背負い、罰を受ける小羊と同じように犠牲となられたのです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハネによる福音書1:29)