ヨブ

 









イリヤ・レーピン「ヨブと彼の友」・「
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旧約聖書「ヨブ記」はヨブという人物を主人公としたストーリーです。

ヨブは清廉潔白でとても信仰深い人物であったと記されています。
その義人ぶりときたら「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」と神様からのお墨付きまでついている程です。

しかし、それに茶々を入れる者も。「サタン」です。サタンと言えば悪魔の親玉的存在、ヘブライ語では「敵対者」という意味を持っています。神様に面と向かって反論。
「ヨブが信仰深いのは今恵まれた環境にいるからでしょうよ。不幸な目に合わせてみたら絶対堕ちますって」
確かに現在ヨブは裕福で、大勢の子どもたちに恵まれています。神様が自分を豊かに幸せにしてくれているから神様に対して信仰深いのだ、と言われるのもごもっともな環境です。もし不幸になれば神さまを呪うに違いない、と煽るサタンに神様は「じゃあやってみるがいい」とGOサイン。命だけは取るなよ、とはおっしゃってくださいましたが…。

OKが出た途端、サタンはやりたい放題。暴動、略奪、災害、次々と災難がヨブを襲います。あっという間に財産も使用人たちも、大切な子どもたちも全て失ってしまいました。

それでもヨブは静かにこう言うだけでした。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
人は何も持たずに生まれて来て、何も持たずに死んでゆく。全ては神様のなさること、とさすが義人ヨブ。動じません。

ほれ見たことか、という神様にサタンは食い下がります。財産よりも大切なもの、自分自身の命が危うくなれば、いくらヨブでも神様、あなたのことを呪いますよ。と再び煽ってきました。それに応える神様、再びGO サインを出します。ただしくれぐれも命だけは取るなよ、と。

その結果、ヨブはひどい皮膚病に見舞われます。死んだ方がマシ!と言いたくなるようなかゆみと辛さに襲われ、しかし「命だけは取られない」のだからかえって大変な事になっているとも言える状態です。あまりの苦しみぶりに彼の妻まで「もう神様のことなんか呪ってしまいなさい、死んだ方が楽でしょうに」と言い出す始末。

それでもヨブは「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」と信仰を貫くのです。

とは言えしかし、この苦しみは何故か、私には理由がわからない、とうとうヨブは嘆き始めます。
そこへやって来たのが3人の友人たち、皆いい友達なのですが、ここまでひどい目に合うのは、ヨブよ、お前何か悪い事をやらかしたんだろう、と代わる代わる言い始めました。そんなことはない、自分は潔白である、と言うヨブと3人は延々と議論を繰り返します。

長い議論が出尽くした頃、4人目の友人が登場します。彼は他の3人のようにヨブのことを断罪はしません。しかし自分の潔白ばかりを主張するのではなくて、神様の計らいとはどういうものなのか考えてみろ、とヨブに視点を自分から神様に移すことを勧めてきました。

続いて、いよいよ神様ご自身がヨブに直接語られます。しかし、どうしてこのようなことが起こったのか、というきちんとした理由や、ヨブの知らないところで起こっていたサタンとのやり取りなどは語ってくださいません。代わりにこの世界で起こっている全ての出来事を垣間見せ、その計り知れない大きさを教えられます。ヨブよ、お前にも同じことが出来るか?一度でも太陽を登らせたり沈めたりしたことがあるか?雨を降らせ雷を起こしたことがあるか?動物たちが餌にありつけるようにしてやったことがあるか?etc.etc...

あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

神様のなさることは偉大で私には及びも尽きません、その神様と対等にやり合おうとした私が愚かでした、とヨブは悔い改めます。結局なぜこのようなことになったのか理由は分からず仕舞いです。しかし、神様はへりくだり悔い改めたヨブを回復させ、失ったものを2倍にして返します。

このストーリーを貫くのは「神は人間の行動に応答してご褒美や罰を与える方ではない」というメッセージです。いわゆる「因果応報」ではないのです。義人であってもヨブにはとんでもない災難が降りかかりました。後には失ったものが倍になって戻されますがそれはヨブが悔い改めたからではなく、ただ神様がそうしよう、とお決めになったから起こったことにすぎません。

しかし最終的には全てが良くなる、と聖書は約束しています。
この地球上では、今もどこかで戦争が起こり、災害が起こり、人が苦しむ出来事が大小問わず起こっています。神様はこれらをすべてを必ず良いものへと導かれる方である、と信じて今日も大変な世の中を生きていくように、と聖書は私たちに教えているのです。

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙8:28)