クリスマス・ストーリーⅢ ~羊飼いたち~


 








アブラハム・ブルーマールト「羊飼いへの知らせ」
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 イエス・キリストの誕生を最初に知らされたのは、野原で羊の番をしていた羊飼いたちでした。
 
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 「いと高きところには栄光、神にあれ、
  地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
(ルカによる福音書2:820
 
 羊飼い、と聞くと何となく牧歌的な響きがあります。青い空、白い雲、雲とよく似た羊たち、アルプスの山々…どうやら、昔のTVアニメの影響もありそうです。(彼は山羊飼いでしたが)
 
 ユダヤ人にとって、羊は生活に不可欠な動物です。毛は衣服や絨毯に使い、乳を搾り、ごくごくたまにですが、ご馳走にもなるのです。そして、神様に礼拝する際の捧げものとして最も上等なのが子羊でした。羊を飼い、増やしていくことで財産が増えていきます。羊の管理をするのが羊飼いの仕事です。草を食ませ、水を飲ませ、逃げないように、外敵にやられないように見張り…休む間もありません。
 
 この「休めない」ことがユダヤ人における羊飼いの立場を非常に下げている要因の一つでした。ユダヤ人の戒律に「安息日を覚えて、これを聖とせよ」というものがあります。安息日というのは読んで字のごとく休む日ですが、寝て曜日とは少し異なります。神様がこの世界をお造りになったことを思い、感謝し、礼拝をささげる日です。現在の日曜日の礼拝につながります。ですから、この日は各自の生業をすべてお休みし、神様にだけ心を向ける日としなさい、という戒めです。しかし当然ながら、完全に守れる人と守れない人が出てきます。羊飼いは典型的な後者です。
 
 人間とはやはり勝手なもの、「働くべからず」のハードルは自分たちの解釈でどんどん上がり、家事もしてはならない、必要以上に歩いてはならない、あれをするな、これもするなのオンパレードです。もし見つけたら「あいつ、安息日に仕事していやがるー!!」と吊るし上げ。戒律を守れない奴は神様から見捨てられて当然の奴、と見下すのです。
 加えて、羊飼いは現代でいうところの日雇い労働者です。羊の所有者の間を渡り歩いて仕事を見つけます。家を持つことが出来ません。読み書きも出来ません。衛生的にも問題のある仕事です。これら全ての事情を総合した結果として、羊飼いは当時のユダヤ社会では最底辺の人々と見なされていました。
 
 当の羊飼いたち自身も、自分たちを卑下していたことが予想されます。お金もない、家もない、学もない、将来の当てもない…羊飼いとして生まれてきたら、それ以上、出世の見込みはまずありません。人からも、神からも見捨てられた存在、それが自分たち羊飼いというものなのだ、とあきらめて今を生き抜く人々でした。楽しいとか、嬉しいという出来事とはほとんど無縁の生活だったことでしょう。
 
 お日様の当たる昼間ならまだ気が紛れるかもしれませんが、夜となれば、焚き火のわずかな火だけを眺めて鬱々と羊の番、明日はいい日だろうか…いい日でも何でも知ったこっちゃないや、俺たちには関係ないさ、別にめでたいことなんか何もありはしないんだ…。
 
 そんな所に天使が現れたのです。暗い夜も一瞬で吹っ飛ぶような眩しさ、「恐れるな」って言われたって恐いよ、何だこれ、夢か幻か、まさか天国か、俺ら死んだのか? 相変わらずサッパリとした聖書の記述では羊飼いの様子は明確にはわかりませんが、こういう場合に冷静沈着とはいかないのでは。天使はお構いなしに救い主の誕生の宣言、続いて天の大軍が現れて大合唱です。「ハレルヤコーラス」で有名なヘンデルの「メサイア」で聴くこの場面はなかなか圧巻です。羊飼いたちもこんな風に圧倒されたのではないだろうか、という実感が湧いてきます。機会があれば、ぜひ生でお聴きになってみてください。
 
 天使の言葉は「民全体に与えられる大きな喜び」「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と羊飼いたちに告げています。神の御子の誕生の喜びは「あなたたちのもの」でもあると言っているのです。どんな人も神様から見捨てられてはいない、あなたたちはそう思っているかも知れないが、そんなことは絶対にない、だから私はこのビッグニュースをまず、自他共に最底辺と認められているあなた方の所へ持ってきたのだよ。まだ誰も知らない内に、行って見ていらっしゃい。
 
 驚くのは羊飼いたちがこの出来事を受け入れることが出来た、ということです。今のは何だったんだ、きっと夢だったんだよ、で終わらせることもなく、どうせそうは言ってもやっぱり俺らには関係ないね、と放り出すこともなく、言われた通りにベツレヘムまで行き、生まれたばかりのイエス様を見つけたのです。そして、天使の言ったことが本当だった、と神様を賛美しながら帰って行きました。喜びと無縁と思っていた自分たちに、大きな喜びの知らせが届けられたのです。それも最初に。
 
 世界で最初のクリスマスの出来事に登場する人物は、誰も皆、特別な存在ではなく、どこにでもいる人々です。強くもなく、美しくもなく、むしろ弱く、悩み苦しみを抱えている人たちばかりです。だからこそ、神様の助けと救いが必要な人たちです。人間とは誰もが弱く、自分たちではどうにもならない世界の中でもがきながら生きています。そこへ神様が自ら人間、それも赤ちゃんとなって私たちの中に来てくださったのがクリスマスなのです。
 
 クリスマスおめでとうございます。