神の知恵








翻訳者の一人、音吉の記念碑
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「ハジマリニ カシコイモノゴザル」

 現存する日本最古の新約聖書の言葉です。翻訳したのは3人の日本人水夫です。彼らは1832年に遠州灘で遭難し、14ヶ月かけて北米に漂着しました。大半の乗組員は亡くなり、かろうじて生き延びた3人は紆余曲折を経てマカオにたどり着きます。そこで出会った宣教師に依頼され、聖書を英語から日本語に翻訳する手伝いをすることとなりました。翻訳されたのは聖書の中の「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの手紙Ⅰ//Ⅲ」のみですが、宣教師の名を取った「ギュツラフ訳聖書」として有名です。
 
 冒頭の文はヨハネによる福音書の最初の一文です。

 初めに言(ことば)があった。(ヨハネによる福音書1:1
 
 英語では「In the beginning was the Word.」聖書では神様のことを「言葉」と表現することがあります。哲学にもおいて言葉が世界の根幹である、という考えがあり、それを考慮しているとも言えます。この文章をきちんと意味がわかるように訳せれば聖書はほぼ訳せたも同然、と宣教師ギュツラフはまず3人の水夫たちに「聖書の教える神様とはどのような方か」を懇々と説き、日本人に最もしっくりくる「Word」の意訳を考えるよう頼みます。
 
 悩んだ末、彼らが選んだ答えは「カシコイモノ(賢い者)」でした。
学もなく、英語も不十分、キリスト教に関する知識はほぼなかったであろう彼らが見事に神様の本質を見出したのです。皆の熱意はもちろん、ここまで導かれた神様のまさに「知恵」の御業と言えます。
 
 「神の知恵」は多岐にわたるものであり、完全に説明することは出来ません。それをあえて一言で言うならば、やはり「全知の神」でしょう。世界の全て、地球、宇宙、現在、過去、未来、などなど…人間にはわからない部分も、神様は全てご存知です。私たちには、世界はわからないことだらけ、人生も思うようにならないことばかりです。なぜ人は争うのか?なぜ自然は災害を起こすのか?なぜ病気になるのか?なぜアクシデントが起こるのか?なぜ人は死ぬのか?なぜ?なぜ?なぜ?…表面的に理由を見つけることは出来ますが、それが正解とは限りません。これが答えだ、と思ったことが逆転することもしばしばです。自分なりには納得した答えでも、他の人にはそうでないことも。生きていくことは正解の見つからない疑問の連続です。
 
 自分では正解を見つけられない人間にとって、「全てをご存知である神様がいらっしゃる」という事実は、安心して生きる大きな支えとなります。人生で悩みにぶつかった時、もしかすると正解は見つからないかもしれません。まるで迷路にいるような気持ちに陥るかも知れません。そのような時に、しかし正解をご存知である方が私の人生の舵取りをしてくださっている、だから大丈夫なのだ、と神様に委ねることが出来る、これが最も人間にとって心安らぎ、知恵のある生き方だと聖書は教えているのです。

 主を畏れることは知恵の初め。(箴言1:7
 
 なお、最初の聖書翻訳の出来事については、小説「海嶺」(三浦綾子著)に詳しく記されています。3人の奮闘する姿が生き生きと描かれた名作です。機会があれば是非お手に取ってみてください。