過越

 







ミケランジェロ「モーセ」
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 過越祭はユダヤ教において大切な三大祭りの一つです。毎年3月から4月の間に行われます。
 
 起源はB.C.16世紀(13世紀とも)頃にさかのぼります。この頃、ユダヤ人(イスラエル人)たちはエジプトで奴隷状態に置かれておりました。移住直後は両民族の関係は良好でした。しかしユダヤ人が膨大な人数に増えたことや彼らが頑健な民であったことからエジプト人はユダヤ人を恐れるようになり、奴隷として厳しく扱うようになります。加えて男の子は生まれ次第ナイル川に放り込め、という恐ろしい命令まで下してユダヤ人を迫害しました。この頃に生まれたのがモーセ(Moses)です。

モーセは生後3か月まで匿われて成長しますが、隠しきれなくなったために防水した籠に入れられてナイル川に流されます。うまいことにエジプト王女に拾われ、更にモーセの姉の機転によって実の母を乳母とし、エジプト王女の子として育ちます。聖書にはこれ以上のことは書かれておりませんが、自分がユダヤ人であること、しかし数奇な展開でエジプト王室に育ったことは理解していると思われます。
 
 やがて、ユダヤ人とエジプト人の間に立つ者としてモーセは神様から直接呼びかけられます。

「イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」(出エジプト記310節)
 
 イヤです。無理無理無理!!抵抗するモーセを容赦なく神様は押し出します。口下手でよう話せません、という彼のために、弁の立つ実の兄アロンを付き添わせてエジプト王ファラオの下へ遣わしました。

 ファラオは当然相手にしません。エジプトにとって貴重な労力であり、かつ敵に回すには危険すぎる民をどうして野放しに出来ようか。かえって彼らにより厳しい労働を課す始末です。しかし苦しみながらも割り当てられた過酷な労働を何とかこなせるユダヤ人、ホント凄すぎます。
 
 神様は聞き入れないエジプトに対し、次から次へと色々な災難を送られます。ナイル川の水が血に変わる、カエルやブヨの大発生、疫病や腫れ物、雹は降るわ真っ暗闇にはなるわ…そのたびにファラオは出立を認めるのですが、災難が止むとすぐ心変わりして撤回します。繰り返すこと9回、閉口した家臣たちはもういい加減に彼らを解放し発たせてやってくれと願いますが、ファラオだけは頑なに拒み続けます。
 
 最後の災難はもっとも恐ろしいものとなりました。

その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。」(出エジプト記1212節)
 
 そして、ユダヤ人たちには、小羊を屠り、その血をそれぞれの家の入口の柱と鴨居に塗っておくように命じられました。さらに旅支度をしてからその小羊を夕食に供するよう命じられます。

「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」
(出エジプト記1213節)
 
 神様自らがエジプトの国を巡り、初子に手を下されるというのです。その言葉通り、その夜、エジプト中の初子たち、ファラオの初子から牢につながれている捕虜の初子、家畜の初子に至るまでが神様の手にかかり命を落としました。しかし入口に小羊の血が塗られたユダヤ人の家にはその災難は起こりませんでした。神様がその家をされたのです。
 
 ようやく、ファラオはユダヤ人たちを出立させることとしました。これ以上彼らをここにいさせたらエジプトは全滅してしまう、さっさと出て行ってくれ!恐怖心も手伝ってエジプト人たちはこぞって彼らに金銀財宝や衣服を与えて送り出します。
 
彼らはそのまま出発しました。とりあえずの食料はこねただけで発酵させる暇もなかったパンの練り粉をこね鉢ごと担いでいくことに。大急ぎで旅立ちます。
 
 これが過越祭の由来です。

また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」(出エジプト記122627節)

 と、神様は今後この出来事を思い出すために毎年、過越祭を行って祝うように命じられました。
 
 祭りは一週間続きます。当時、一日の始まりは日没からでした。日が沈むとまず食事です。犠牲の血を流した小羊の肉、慌ただしく出立したために発酵させなかったパン、奴隷の苦しみを現す苦い菜など当時を思い出す決められたメニューが食卓に並びます。食事の後には、この出来事が記されている聖書を読み、神様に感謝します。お祭りと言っても静かな、厳粛なものです。この過越祭は今でもユダヤ人にとって大切なお祭りとして続いています。(スタイルは少し変遷があるかもしれません。)
 
 なお、無事にエジプトから脱出出来たと思いきや、夜が明けるとファラオは何と、再び出て行ったユダヤ人たちを連れ戻そうと軍隊を駆って追いかけてきました。壮年男性だけで60万人、女性や子供も入れたら相当の人数が一度に去ってしまったことに慌てたのです。追いかけて海(紅海)の際まで追いつめてきました。ここで「海割り」の奇跡が起こります。神様はモーセに命じられました。

「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。」(出エジプト記1416節)

 その通り、ユダヤ人たちは無事に海を渡り、追いかけて来たファラオとエジプト軍たちは再び閉じた海に飲み込まれてしまいました。かくして彼らは自分たちのルーツであり、神様が与えてくださると約束された地を目指して旅を始めることになります。
 
 この出来事は、神様はご自分と契約を交わした者を何があっても守り抜くということを教えています。ユダヤ人を守るためならエジプト人はどうなってもいいの?と思うような出来事ですが、この時点では「契約の民」はユダヤ人です。神様はユダヤ人のためなら、なりふり構わずと言ってもいいほどの手を尽くして彼らを守り、奴隷状態から解放させ、繁栄を約束した豊かな地へと導かれるのです。
 
 やがてこの契約はイエス・キリストによって「新しい契約」としてユダヤ人に限定されないものに更新されます。それが「最後の晩餐」の出来事です。