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イエス・キリストの降誕の図、どなたも何らかの形でご覧になっていることでしょう。ブリュッセルのグラン・プラスにも大きなほぼ実物大のクレッシュ(降誕の人形)が飾られています。イエス様って、こんな風にお生まれになったのかなぁ、と想像をふくらませることが出来ます。
しかし、聖書の記述はこれまたサッパリとしたものです。そのシンプルな中から情報を引き出しつつ、実際の様子を思い浮かべてみたいと思います。
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
(ルカによる福音書2:1~7)
これだけです。しかし必要なことは網羅されています。聖書はイエス・キリストの誕生を神秘的なものではなく、現実的なものとして描きます。それは、神様が人間が生きていく上での厳しい現実を知っていてくださり、そこへ救いの手を差し伸べてくださっているということを示すためなのです。
「紀元前(B.C.)」「紀元後(A.D)」の境はイエス・キリストの誕生です。それぞれのアルファベット表記は「Before
Christ(キリスト前)」と「Anno Domini(主の年)」の略です。前者が英語で後者がラテン語なのは何ゆえか…歴史上の変遷らしいですが、最近は非キリスト教社会への配慮から他の表記も広がりつつあるそうですね。とは言ってもこの出来事が大きな歴史の節目であることは確かなことです。余談ですが「歴史」を意味する英語「History」は「His story」から来ており、このHeは「イエス・キリスト」を表していると言われております。
厳密に計算すると、実際にイエス様の誕生は紀元前4年という説もありますが、細かいことは気にしない。いずれにしてもローマの「皇帝アウグストゥス」が在位中の時のことでした。(B.C.27~A.D.14)この時代、世界の中心はローマ帝国です。全ての道はローマに通ず、ユダヤはローマ帝国の属国の一つとなっていました。ローマ皇帝の命令は絶対です。税金の統計やら何やらで属国の住民状況を把握するために、人々は生まれ故郷へ戻って登録しなくてはならなくなりました。ローマ皇帝の命令は絶対…。
イエス・キリストの降誕の図、どなたも何らかの形でご覧になっていることでしょう。ブリュッセルのグラン・プラスにも大きなほぼ実物大のクレッシュ(降誕の人形)が飾られています。イエス様って、こんな風にお生まれになったのかなぁ、と想像をふくらませることが出来ます。
しかし、聖書の記述はこれまたサッパリとしたものです。そのシンプルな中から情報を引き出しつつ、実際の様子を思い浮かべてみたいと思います。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
(ルカによる福音書2:1~7)
厳密に計算すると、実際にイエス様の誕生は紀元前4年という説もありますが、細かいことは気にしない。いずれにしてもローマの「皇帝アウグストゥス」が在位中の時のことでした。(B.C.27~A.D.14)この時代、世界の中心はローマ帝国です。全ての道はローマに通ず、ユダヤはローマ帝国の属国の一つとなっていました。ローマ皇帝の命令は絶対です。税金の統計やら何やらで属国の住民状況を把握するために、人々は生まれ故郷へ戻って登録しなくてはならなくなりました。ローマ皇帝の命令は絶対…。
ヨセフは当時ナザレの町に住んでいましたが、元々のルーツはベツレヘム。そこまで行かなくてはなりません。ローマ皇帝の命令…もういいや。ナザレからベツレヘムまではおよそ130㎞、過酷な長旅です。お腹の大きくなったマリアも一緒でした。登録すべきは成人男性だけなので、マリアを置いてヨセフが一人で来ることは可能です。しかしマリアの妊娠は、周りからあれこれと誤解を受けていたことが容易に想像できる出来事です。「身ごもっていた、いいなずけ」を現代以上に厳しい世間の視線に晒すことが忍びなくて、それよりは長旅の方がマシ、と連れてきたのかもしれません。
ローマ皇帝の無茶ぶりで、多くの人々の移動が起こりました。宿屋は大繁盛ですが、あぶれた人も多かったことでしょう。ヨセフとマリアもそうだったことがうかがえます。お腹の大きな若妻を心配して、一軒だけ親切な宿屋さんが、まあ大変、馬小屋で良ければどうぞ、と案内してくれました…という美談ならばいいのですが、残念ながらそれは理想と空想の産物です。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とキッパリ書かれているのは、彼らを受け入れてくれる場所は全くなかったのだ、という周囲の拒絶の気配さえ感じさせます。そんな八方塞がりの中、お産が始まります。お生まれになったイエス様は、布にくるまれて飼い葉桶に寝かされました。
ここで、ちょっとだけ重箱の隅をつつき、細かいことを気にします。
降誕画にはしばしば木で造られた飼い葉桶に寝かされたイエス様が描かれます。小屋も木造です。家畜小屋と言えば余りの木っ端で造られた、すきま風だらけの掘っ立て小屋というイメージかも知れません。しかし、当時それは有り得ないことでした。木は高級品だったのです。人間の家でさえ、木はほんの一部に使われるだけで、石や質の悪いレンガが主な建材でした。家畜小屋にいたっては、建物ですらなかったともいわれております。せいぜい雨風をしのぐための洞窟か、中庭などで雨ざらしにされていたかもしれないという説が有力です。
ついでにもう一つ…時々、「馬小屋」と言われることがありますが、これも正しいとは言えません。聖徳太子とかぶっているかどうかはともかく、当時は馬も高級な動物でした。戦いに出る兵士や王族の乗るものであり、庶民の生活とは無縁の動物です。なので「家畜小屋」と言われます。そこにいるのは牛、羊、豚、ロバなど、貧しい人々にとっておなじみの動物ばかりでした。
イエス様がお生まれになったのは、そのような非常に粗末で光も差さない暗い中でした。マリアはヨセフ以外には誰の手も借りられず、自分一人で産んだ赤ちゃんを布にくるんでいます。神の御子、新しい王と呼ばれる筈の方が生まれるというのに、あんまりと言えばあんまりな状況です。
このあんまりな中にお生まれになったイエス様は、だからこそ全ての人の救いのためにお生まれになった方ということが出来るのです。生まれ落ちた瞬間から、ありとあらゆる苦しみを経験されたことによって、人間の苦しみ痛みを知り尽くされ、寄り添われる方となられました。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピ2:6~7)
暗闇の中の唯一の希望、それは新しい命の誕生でした。そしてそれはただの命ではなく、神が人となって人間の世界に来られた、という驚きの出来事がクリスマスなのです。
ついでにもう一つ…時々、「馬小屋」と言われることがありますが、これも正しいとは言えません。聖徳太子とかぶっているかどうかはともかく、当時は馬も高級な動物でした。戦いに出る兵士や王族の乗るものであり、庶民の生活とは無縁の動物です。なので「家畜小屋」と言われます。そこにいるのは牛、羊、豚、ロバなど、貧しい人々にとっておなじみの動物ばかりでした。